活動レポート

味の素社がパラアスリートと考える自分らしさとは?
パラスノーボード小須田潤太「食の力」編

2025年(令和7年)2月、味の素社はパラスノーボード競技小須田潤太選手(34歳)とパートナー契約を締結しました。

2021年(令和3年)の東京2020夏季パラリンピック競技大会には陸上競技、半年後の北京2022パラリンピック冬季競技大会にはスノーボードで出場。両大会で7位に入賞した小須田選手。「世界との大きな壁を感じた。あの舞台でメダルを取りたい気持ちが2大会を通じてものすごく強くなった」そう話す小須田選手は北京大会が終わったタイミングでメダル獲得への最短の道を探り、競技をスノーボード1本に絞りました。
2026年(令和8年)にミラノ・コルティナで開催される冬季パラリンピックで目指すのは金メダル。そのための練習に日々励む2025年(令和7年)2月、小須田選手と味の素社 蘆名真平さんにお話を伺いました。

小須田 潤太 氏

東京2020パラリンピック競技大会では、T63クラスで100メートルと走り幅跳びに出場。2018年からはスノーボードにも挑戦を始め、北京2022パラリンピック冬季競技大会はスノーボードクロスで7位入賞、その後スノーボードに専念。2023年のW杯スノーボードクロス(LL1)で優勝、2025年3月カナダ世界選手権バンクドスラロームで優勝を飾った。 オープンハウスグループに所属

蘆名 真平グローバルコミュニケーション部
スポーツ栄養推進グループ マネージャー

2023年より「ビクトリープロジェクト®」パラリンピック担当に着任。アスリートたちへの支援を通じ、「誰もが活き活きと、″自分らしく″輝ける社会」を目指す

ミラノ・コルティナ2026パラリンピック冬季競技大会で金メダルを目指す義足のスノーボーダー小須田潤太とは

群馬県みなかみほうだいぎスキー場、ゲレンデを勢いよく無邪気にそして楽しそうに滑走するスノーボーダー。右足の太ももの半分から下が義足だとはスキー場にいる人のほどんどは気づかないだろう。
目標に向かって突き進む、そんな言葉がピッタリの小須田だが、学生時代は何事にも打ち込めない中途半端な人だったと回想している。
小学校時代に取り組んでいたのはサッカー。6年時、ユースチームのセレクションで不合格。その時に周りの保護者から「落ちた中では一番上だよ」という言葉を聞いて、補欠合格を心のどこかで期待していた。しかし実際は...「繰り上げすらならなかった。幼心に正直凄くショックでした」自分はギリギリでも受からないと言う現実。今でもあの時の苦い記憶は鮮明に思い出すという。その日を境に自分の限界値を知るのが怖くなってしまい、以来、何事もそこそこに取り組めばいいと、失敗を恐れるようになっていく。

大学も2年生で中退。アルバイトをしていた引っ越し業者で契約社員として働き始めていた21歳の時、居眠り運転で交通事故を起こし右脚の大腿部を切断することとなった。家族や友人たちの悲嘆をよそに、小須田本人はそこまで落ち込むことがなかったという。

事故から3年、リハビリを担当してくれた理学療法士の勧めで何となく参加した、義足のランニングクリニックで転機が訪れた。講師として参加したパラアスリート山本篤(元パラ陸上選手 24年5月パラ陸上を引退)さんの姿に衝撃を受ける。「同じ障がいがありながら、颯爽と走る姿を見てすげーなって」山本さんのようになりたいと憧れの気持ちで陸上競技のキャリアを2016年(平成28年)、25歳の時にスタートさせた。

パラスノーボードとの出会いは、陸上競技を始めて1年後の2017年(平成29年)。当時、共に陸上競技の練習をしていた山本さんが国内のスノーボードの大会にも出場し、優勝したのをニュースで見た。「まじか」と言う衝撃が走った。子どもの頃に年に一度、遊びに行っていたくらいの経験しかなかったが、もう俺もやるしかないと思い立ち、スノーボードの挑戦も始まった。「篤さんと出会っていなかったら、陸上もやってないし、スノーボードに挑戦することもなかったと思います」山本さんの存在が小須田の心に火をつけた。

山本さんの背中を追い、陸上競技とスノーボード、二刀流の生活を続けた。「篤さんのようになりたい」という目標ができた小須田は、人生ではじめて真剣に真っ直ぐに取り組み始める。
2021年(令和3年)に走り幅跳び(T63)で東京2020大会に出場、その翌年2022年(令和4年)にはスノーボードクロス(LL1)で北京2022大会にも出場する。「世界のトップ選手が集まって競い合う大会、競技場の迫力はものすごくて、やっぱりパラリンピックは一味違うな」と。小須田は奮闘するものの、結果は夏冬ともに7位。

国際舞台を踏んで感じたことは、メダリストとそれ以外の違い。その差がはっきり見えてきたあの時、はじめてどうしてもメダルが欲しいという想いが心の底から出てきた。メダル獲得を目標に置いた時、競技をスノーボード一本に絞ることは自然な決断であった。北京大会後はスノーボードだけに専念している。「目指すものができてそこから本気で何かに取り組むことがどれだけ面白いのかって知ることができました」そう話す小須田は誰よりも楽しそうに日々の練習に取り組んでいる。

小須田選手はミラノ・コルティナ2026大会に向けて、味の素社とのパートナー契約が決定。味の素社は食品や栄養補助食品などの提供を通じて栄養サポート活動を行い、競技活動をバックアップしていきます。

小須田選手と味の素社がパートナー契約した理由

ーーー小須田選手と味の素社がパートナー契約を結んだ経緯を教えてください。

蘆名
元々私の方から小須田さんをお誘いしました。夏季競技はなかなか魅力的な仲間たちがいるんですよ。車いすバスケの鳥海連志選手、パラ水泳の鈴木孝幸選手、元パラ陸上選手の山本篤さんら個性的なメンバーがいて、それぞれ実現したい志がある方達です。冬季にもそういう仲間が欲しいと思っていていたところ、小須田さんとの出会いがありました。「ぜひ一緒に面白いことをしませんか?」、とこちらからお声がけさせていただきました。

小須田
僕としては断る理由は一つもなくて単純に嬉しかったです。これまでトレーニングを積む中で、食や栄養にフォーカスして特別に取り組んだことはありませんでした。今までおざなりにしてきた分、しっかりと取り組んでいけば競技力の向上につながるのではという期待がありました。より一層本気で競技を向き合うことができますし、迷うことなくサポートを受けさせていただくことにしました。

ーーーお二人が考えるパラスノーボードの魅力は何だと思いますか?

小須田
もともと陸上競技をやってきて尚更感じることなんですけど、板を履いて雪の上にただ立っているだけで普段では味わえないくらいのスピードが出ますよね。その疾走感が僕の中では一番面白いところかなと思います。大自然の中で競技ができることも魅力ですね。パラスノーボードに限って言えば、腕や足がなかったり麻痺していたりで義足などの道具を使いながら、さらにボードというギアを操る。様々な障がいを持った選手が、自分なりの工夫をしながら競技に取り組んでいるのが見所の一つです。

蘆名
これまで色々なパラスポーツを見てきました。ブラインドフットボール、車いすバスケ、パラ水泳...、国際大会にも同行して彼らと寝食を共にしました。国際レベルに到達するまでに彼らが幾度となく乗り越えてきたこれまでの「壁」、社会が彼らに与える障がいがそれぞれにある。足がない選手や、目の見えない選手が、どうやってスポーツをしているのか、どうやって生活をしているのか。僕たちが普段、無意識でできるからこそパラアスリートから学ぶことはたくさんあります。私は結構海外が長いんですけど、日本ではまだまだパラスポーツの魅力と価値に気づいていない人が多いと感じます。小須田さんのように障がいを持ちながらスポーツで輝いている人をもっと多くの方に知ってもらえたら、きっと社会にいい影響を与えることができると思っています。スノーボードって若者に人気のスポーツでもありますよね。スピードの中で挑戦する、それも足が義足ですよ。これって単純に面白いですし、さらに多くの人にパラスポーツの魅力を知ってほしいと思っています。

パラスノーボード競技と食

ーーー陸上競技とスノボードで環境や疲労度などが全然違ってくるかと思います。栄養面で気をつけるべきことも変わってきますか?

小須田
カロリーを摂り続けることですね。陸上をやっていた時と比べてとにかく食べる量を増やしています。今取り組んでいるスノーボードクロスという競技は複数人が同時にスタートし、同じコースを滑走するので、選手同士の接触や転倒が頻繁に起こります。雪上の格闘技とも言われるので、体重が重い方が速いし強い。そのため体重を増やしたいというともありますが、陸上と比べて圧倒的に練習の時間が長いので、どうしても栄養不足になりがちです。冬のスポーツは特に。山にいるとこまめに何かを口にするということも難しくなってきます。ポケットに水や補食を入れておいて手軽に食べられるようにしています。そこは陸上と全然違うところですね。

蘆名
食べられる量は人によって決まっているので、内容をどうやって自分にとって理想的なものにしていくかだと思います。何のために食べるかだと思うんですよね。この食がどういう風に役に立っているのかを考える。例えば食事の最初に味噌汁を飲む。だしなどに含まれるアミノ酸の一種であるグルタミン酸がうま味成分を構築し、消化吸収をサポートしたり、食欲にスイッチを入れたりする役割を持ちます。なので、食欲が出ない時は、食事のはじめに汁物をとるようにすると、食欲増進にもつながるのでおすすめです。美味しく食べる努力も大事です。

ーーー海外への長期遠征や、寒い場所での体調管理は大変だと思いますが、意識していることはありますか?

小須田
炊飯器とお米は必ず持っていきます。最低限ご飯は絶対に食べる。海外に行くとパンとかポテトとかが糖質の摂取源になってくると思うんですけど。それだと量を食べることができません。海外では日本のお米をなかなか買うことができないんですよ。やっぱり日本食が一番美味しくて量もたくさん食べることができますから。

蘆名
味の素社は前回のパリ大会でも日本選手団に同行しております。どのくらい荷物を選手に提供したかご存じですか?段ボール箱70ケース、約1.5トンです!小さい頃からパンで育った人はパンでもいいと思います。ただ長期に海外遠征になるとやっぱり日本食が食べたくなる。そんな時に気持ちを上げるためにもやっぱり日本人は日本食が食べたくなりますよね。

小須田
北京2022大会の時とても助けられました。選手村では食堂のご飯が身体に合わず、味の素さんの配布していた製品で自炊することができました。栄養素とかはいったんおいておいたとしても、日本食が食べられるということだけで、どれだけ精神的な安定を得られたかわかりません。
遠征の合間、日本にいる時は妻の実家にいます。義母が食事を作ってくれることも多々あり、私がアスリートだからか味はもちろん量や献立にも気を使ってくれています。家で食べる食事のパワーは偉大ですね。

蘆名
それって、食事という物理的なものじゃなくて、大きな愛情を注いてもらえているということですよね。それが美味しさにもなっていると思いますけどね。どういう環境で食べるかで精神的にも満たされる。食を通して周りの人にどれだけ支えられているかが分かると、もっと強い人間にもなれるし、メダルの価値も大きくなると思います。

小須田
本当に良い食事を提供していただいていて感謝しています。

蘆名
それが食の力ですよね。

小須田選手と味の素社が思い描く未来とは

ーーー味の素が色々なパラアスリートを支援している理由を教えていただけますか?

蘆名
日本でのパラアスリートの魅力がまだまだ伝わっていないなと思っています。
先天性でも後天性でも大きなものを乗り越えてきた人たちなので、人間としての厚みを感じます。メダルを取れる選手も取れない選手も一緒で僕には魅力的な人間にうつるんです。それは多くを乗り越えてきているからでしょうか。「僕はこれだけ支えてきてもらっているので、支える側になりたいです」とか、「足がなくなって辛い人たちがいるのなら、こんなに楽しい人生もあるんだと伝えたい」とか。みんなメッセージを持っています。
アスリートとしての小須田さんはもちろんそれ以上に一人の人間として魅力がある。味の素社の力で選手たちを輝かせたい。小須田さんを通して家族と一緒に食べる楽しさや、それがどれだけ選手のエネルギーになるかっていうことを伝えられたらいいのかなと思っています。

小須田
僕は一人では何もできなくて。本当に色々な方にたくさんのサポートを受けています。ありがたい気持ちはもちろんありますし、より一層自分は何ができるのかなというところを考えるきっかけにもなりました。僕は山本篤さんの姿を追ってパラアスリートの道を歩んでいるので、自分自身もいつか誰かにそう思ってもらえるような魅力あふれるパラアスリートになれればなと思っています。

ーーー小須田選手はパラアスリートになる前と後で、考え方が変化したと話しています。障がいを持って感じることはありますか?

小須田
僕は昔から何事も何となくできる側の人間だったんですよね。足の怪我によってそれができなくなってしまった。するとできない人の気持ちが考えられるようになりました。不自由になったことで、視野の広がりを感じました。当たり前だと思っていたことが一切できなくなって、当たり前ではなくなる。歩くこともそうだし、走ることもそうです。物事の考え方が変わりました。不自由だけど不幸ではない。足があった頃の自分よりも、間違いなく人として厚みが増しているし、視野が広くなってきていると思います。よく僕は「足がなくなってよかった」って言うんですけど、得るものが大きかったなということです。

ーーー小須田選手の今後の目標を教えてください。

小須田
2026年(令和8年)3月、イタリア・ミラノでパラリンピックが開催されます。まずはそこで金メダルを獲得するのが最大の目標です。アスリートとしてやっぱり一番を目指したい。アスリートを始めて9年目になりますけど、やればやるほどメダルというものを目指したくなりました。結果を出すことはアスリートとしてやらなければいけないというか、やりたいなと自分の中で思えるようになっています。

ーーーそこまでメダルにこだわる理由は何ですか?

小須田
やるからには影響力のあるアスリートになりたい。そこについてくるのは確実に結果です。パラリンピックでメダルを取るのはパラアスリートとして大事な要素だと思っています。自分の理想像に近づくためにもやっぱりメダルは欲しいですね。

蘆名
サポートする側としては、メダルの色とかは関係なくてただただ終わった後に一番の笑顔で帰ってきてくれること、それに尽きると思います。積み重ねてきたものの自信が、あの舞台で現れる。その自信を確信に変えたいというのが本心だろうし、感謝の気持ちを伝えるのにメダルが必要なんじゃないですかね。ご家族も含めて、支えてくれる人が周りにたくさんいて、その人たちにありがとうという気持ちを表現するとき、メダルが必要なのかなと。もう十分に魅力的だと思いますが。

ーーーお二人が思う、パラアスリートの未来とその役割とは?

蘆名
最近世の中がちょっとギスギスしていると感じることがあります。小須田さんのようなパラアスリートの活躍がもっと広まることで、手触りのある優しい世の中になるのではないかと考えることがあります。普段意識することはあまりないですが、最終的に年を取るとみんな目が見えづらくなったり、耳が聞こえづらくなったり、歩くのも大変になってくる。車椅子に乗るとか、老眼鏡をかけるとか。パラアスリートは私たちにとってそれほど遠い存在ではないと思っていて。普段の生活で障がいを感じることがなく、活き活きと生活するパラアスリートが身近にいたとしたら、それは私だけでなく多様な人にとって、安心して過ごせる未来になると信じています。彼らの姿にもっと強く光を当てていきたい、それが、私たちにできるいちばんの貢献だと思っています。

小須田
別に足がないってそんなに特別なことではないんですよ。僕はコンプレックスは全くなくて、障がいを持っていることを1番の武器として生活ができています。できないことができる喜びや、不自由になったからこそ見えるものがありました。そこから本気で何かに取り組むことがどれだけ面白いを知ることもできました。どんどん発信して、とにかく色々なところに出ていく。そういう人がいるのも当たり前と思えるような社会にしたい。そんな大それたことを言えるような人じゃないんですけど、少しでもそういう未来を作る一役を担えればなと思っています。


【This is me】パラスノーボード小須田選手と味の素社が勝利の先に目指す未来とは?

2025年3月の情報をもとに掲載しています。

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