活動レポート

38歳右代啓祐、再起の理由
〜「チーム啓祐」が世界のアスリートの教科書になる日

数多くのオリンピック・パラリンピック出場アスリートをサポートしてきた味の素社の「ビクトリープロジェクト®」。その一環として、2021年から陸上十種競技日本記録保持者・右代啓祐選手を支えたサポート活動で結成されたのが「チーム啓祐」です。
栄養面のサポートを行うリーダーの栗原秀文さんだけではなく、ボブスレー元日本代表監督でテクニカルアドバイザーである石井和男さん、トレーナーとして数多くのアスリートに接し、栗原さんとのパートナーシップも強固な三富陽輔さん、科学的な知見を持ってアスリートの動作解析・改善を行う柿木克之さん、そして広報やマネジメントの担当から成り立ちます。

■「チーム啓祐」メンバー(トップの写真)

三富陽輔:理学療法士、日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー(左)
石井和男:元ボブスレー全日本監督(中央左)
右代啓祐選手:陸上/十種競技 日本記録保持者。国士舘クラブ所属(中央)
栗原秀文:味の素社「ビクトリープロジェクト®」プロジェクトリーダー/サポートディレクター(中央右)
柿木克之:工学博士。BlueWych合同会社代表(右)

「ビクトリープロジェクト®」と右代啓祐の出会い

2003年(平成15年)、味の素社は日本代表選手およびその候補選手を対象とした、国際競技力向上およびメダル獲得数増のための「食とアミノ酸」によるコンディショニングサポート活動「ビクトリープロジェクト®」を開始しました。

「マーケティングの重要なアクションの1つだった」と栗原さんが話すそのプロジェクトは、その後、各種競技連盟のパートナー、国際的なスポ―ツ大会のスポンサーや 大会現地での栄養サポートなどに発展し、日本のトップアスリートの輝かしい結果を支えてきたプロジェクトと言っても過言ではないものへと進化していきました。

東京で開催される国際大会の出場を逃した右代さんと同社主催イベントで再会し、「右代啓祐という人間性」に心を動かされ、「ビクトリープロジェクト®」でのサポートを決めた栗原さん。「正直、この恵まれた体格を持ち経験もある右代選手なら、栄養面が変われば楽勝だろう」と考えていた栗原さんでしたが、2人で取り組んだ初めての日本選手権は5位という結果に。

右代選手とともにトレーニングをする栗原秀文さん(写真右)。

栗原:このとき、「自分1人では限界がある」という想いとともに、「右代啓祐という稀代のアスリートを立て直したい」という気持ちにスイッチが入りました。
パフォーマンス向上のための3要素は、「運動・栄養・休養」です。私たちの専門領域である"栄養"のことだけを考えているようでは、パフォーマンスに貢献ができているとは言い切れません。「ビクトリープロジェクト®」のアウトプットの価値を高めていくために、「栄養でサポートする」だけでなく私たち自身が成長し、領域・視野を広げていくことが必要だと思いました。

右代選手の"走り"という課題感に、ボブスレー元日本代表監督の石井和男さんを加えたのも、これまで競泳や柔道等、数多くのトップアスリートのコンディションを診てきた トレーナーの三富陽輔さんや、工学博士の柿木克之さんらを「ビクトリープロジェクト®」のアドバイザーとして迎えたのもこのような理由からです。

集まった最高の「チーム」

―――栄養だけでなく、すべての面からアスリートをサポートする。そうしたプロジェクトの代表例となるのが、2022年(令和4年)からスタートした「チーム啓祐」。
まずは、それぞれが「チーム啓祐」に加わった際のお話を伺いました。

石井:栗原さんからの誘いの電話はよく覚えていますね。もう話を聞く前から、イエスと答える覚悟は決まっていました(笑)。右代選手と組んで最初にわかったのは、彼の体は一級品なのですが、出力に左右差があったり、技術はチグハグでバラバラな状態であること。単なる技術的な改善だけでなく、思考の変化も含めてじっくり付き合ってサポートしていかなければならないと感じていました。

元ボブスレー全日本監督の石井和男さん。

三富:私は右代選手とは同年代ですが、(右代選手が)主要な国際大会で旗手をされていたことから、しっかりした方なんだろうなというイメージは持っていました。
実際に初めて会ってお話を聞いたり体を触らせていただく中で、「こんなトップアスリートでもまだまだ未開拓な部分があるんだな」と思いました。

理学療法士、日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナーの三富陽輔さん。

柿木:私自身は、工学博士としてスポーツの世界を研究し、現場に知識をフィードバックする活動をしていました。自転車競技を中心に行ってきたので、陸上競技における複雑な体の動きというのはまだまだ難しい部分も多く、不安もありながらわくわくする気持ちを持ってチームに入りました。正直、そもそも100m走がこんなにも細かな技術の積み重ねが必要だということも初めて知りましたし、私自身も勉強しながら取り組んでいました。

工学博士。BlueWych合同会社代表の柿木克之さん。

右代啓祐という「十種競技のレジェンド」を作り替える

―――右代選手は日本の混成競技におけるパイオニアであり、文字通り「第一人者」。恵まれた体格とたぐいまれな身体能力を持ち、努力を重ねることで強くなってきた選手に対して、論理的に強化するための「思考と習慣」を変えていくことが必要な状況でした。選手・チームそれぞれにとって難しい作業となりますが、そこを専門的にアプローチしていくのが「チーム啓祐」です。

栗原:野球にたとえると、素振りの正しい方法も知らずにホームランを打ててしまうような才能を持つ右代選手ですが、その真面目な性格もあってさまざまな情報を収集して、思考の幅が逆に「広がりすぎている」状態になっていました。
また、何事も全力を出さないと納得がいかない性格でもあるので、すべてに全力で頭もパンパンな状態で、「力み」があることが大きな課題でした。走るときに力んでしまうことで、上腕がどんどん太くなってしまうほどです。ここに対しては本当に何十通り、何百通りのアプローチをしてきました。

石井:こちらも自分の持つ引き出しをフルに活用して、いかに正しいことを落とし込みやすくするのかという組み合わせやアプローチを考えながら緊張感を持って取り組んできました。

三富:一度右代選手が膝を痛めたことがあったのですが、それまでにも増して「なぜ痛めるのか」ということに向き合って治していきました。
これまである程度「気合と根性」で乗り越えてきた右代選手ですが、こちらからのメニューやアドバイスを素直に受け入れるだけでなく、すごくうれしそうにやってくれるところはとても印象的でした。とくにコンディショニングの部分は、年齢も重ねてきているので、改めて一緒に作っていきました。

―――それぞれが「右代啓祐」という現状を捉え、改善に向けて技術だけでなく思考・習慣に対してもアプローチしてきた「チーム啓祐」。工学エンジニアとして、選手の動作を解析し改善に活かす柿木さんも、人間の動きという三次元のものを測定する難しさもありながら、自身の知識もアップデートさせながら向き合いました。

柿木:工学的な研究方法の前提条件として、データを取り続けて傾向として捉え、長期的にどう変化したかを観測しなければなりません。

私の専門とする自転車競技は、自転車に機械を装着できるのでデータとして計測がしやすい競技なのですが、陸上競技におけるそうした測定方法はまだ確立されていません。右代選手とのプロジェクトは、どのように既存のセンサーを使って"計測"ができるのかという点を仮説を立てながら実践し、フィードバックできる機会にもなりました。

―――もともと勉強熱心で、十種競技のレジェンドとして第一線を走り続けてきた右代選手は、改めて専門家がチームに加わることに抵抗はなかったのでしょうか?

右代:これまでずっと自分の課題であった「走り」に関して、何をすれば克服できるのか、どんなトレーニングをすればいいのかの優先順位が自分だけでは考えきれなかったのは事実です。そんなときに専門的な力を持っている方が加わってくださるのは素直にありがたいお話だと感じていました。

栗原:右代選手は国際経験も豊富で実績もありトレーニング方法もたくさん知っている。だからこそこれまでずっとトップで活躍できていました。でもそれは、たとえると細い幹に葉っぱがたくさんついている状況だったと思います。幹をしっかりとした上で、必要な葉っぱだけを残していこうと取り組んでいきました。

総会話量1000時間以上!?最高の状態を目指すための「チーム啓祐」のコミュニケーションとは

チームの大きな特徴としてチーム全員が挙げるのが、その「コミュニケーション量」。合宿への帯同など、練習中の濃密な時間もさることながら、合宿中のミーティング、細かな報告とフィードバックなど多くのやり取りが行われています。このように、つねに振り返りをし、次のステップに進むにはどうすればいいかを考え、話し合い続けることが、このチームの進歩の大きな要因となっています。

石井:「いまからミーティングしますよ」という時間も重要ですが、なんでもない時間でも議論をし続けられるチームというのは強いと感じます。そうした会話の中で考えがまとまったり、自分ごとに落とし込むことができたり、いい影響になりますよね。もちろん選手それぞれに特徴があるので、右代選手の場合は、課題に対してこうした「会話によって改善点を見つけていく」作業が合っていたとも思いますが。

三富:話し合いが、長い時間しっかりと行われることはスポーツの現場ではかなり珍しいことだと思いますが、「チーム啓祐」のように「対等に言える」関係性はすごく大事だと感じています。指導者と選手という関係性だと言いづらいことがあったり、近年はインターネットの情報などによって選手の方が知識が多くなってしまうような状況もあると耳にします。
しかしこのチームでは、お互いの専門領域を認め合い、みんなが思うことを土台に上げてから「なにが最善なのか?」と、一番の近道をチームで選択しています。それぞれが選択のための材料を多く持っているので、ミーティングが長くなってしまうこともしばしばありますね。

―――チームで共通して認識した右代選手の課題は「スプリントカ」をどのように向上させるかでした。なぜ弱いのか、強化するためにはどうすればいいのかをチームで付箋に書き出したところ100個もの要素が出てきました。
「30代中盤で、これだけまわりからいろいろ言われても立ち上がろうとする右代選手の人間性がすごい」とチームリーダーの栗原さんが言うように、話し合いではさまざまな意見が飛び交います。

柿木:もちろんミーティングの中で、意見が食い違うこともありますが、右代選手のすごいところは、そうした中でも自分自身に向き合って冷静に考えることができるところではないかと思います。私が彼と同い年のときには、そのような対応はできなかったなと思いますね(笑)。何事にも一番大事な本質がわかっている素晴らしい人間だと思います。

三富:私は右代選手とは年齢が近いので、競技以外の話もたくさんします。年齢が上の栗原さんや石井さんには言いづらいことなどもあったりもするので(笑)、いい意味で抜きどころになっていると思います。

石井:本当に素直で人懐っこくて、憎めないやつですよね。彼が欲しているものがあれば、全力で手伝ってあげたいと思わされます。

―――味の素社が「ビクトリープロジェクト®」でサポートする選手たちにも、こうしたコミュニケーションの部分での共通点があると栗原さんは言います。

栗原:私たちが選手と契約するときには「この選手を勝たせてあげたい」という想いで、選手側とも惹かれあって契約します。そうした相互の信頼がないと、"栄養"という1日3回以上365日必要なものに関してしっかりサポートして、結果を残すことはできません。
選手側も、そうした一番面倒な領域に向き合う思考やメンタリティを持っているからこそ、私たちとともに新たなストーリーが作れるのではないかと思っています。
日本のスポーツ界をもっとよくしていくためにも、アスリートのもつ本質的な価値を引き出してあげられるような関わりをしたいですね。

「チーム啓祐」が8,000点への挑戦で得られたもの

―――2023 年(令和5年)の冬、右代選手には日本記録を出したときを上回る測定値が見られるようになったり、バイクトレーニングで過去最大の回転数やパワーを記録するようになったりしていました。

右代:自分の体が以前の状態に戻ろうとしているのが目に見えるようになってきて、「早く次の練習をしたい」という前向きな気持ちで続けられましたし、年齢を重ねることによって記録が出なくなることへのストレスも感じず、純粋に自己ベストを更新していくことがゲームみたいで楽しかったです。

―――そして迎えた、2024年(令和6年)日本選手権。国際大会の選考会ともなった試合を「チーム啓祐」はベストな状態で迎えました。

右代:試合前にしっかりと睡眠時間をとれましたし、リラックスする時間もとれるようになりました。

前日練習の様子

右代:課題としていた"走り"についても、前日の公式練習でいいタイムが出ていました。もう準備は万端で、あとは本番でパフォーマンスを発揮できれば結果は出るという手応えを感じていましたね。

―――そして大会当日。8,000点超えを目指した全競技の合計得点の結果は7,204点の7位でした。「チーム啓祐」のみなさんに、あらためて大会でのパフォーマンスを含めた評価や感想を聞きました。

右代:本番で力を出すという難しさを感じました。2024年(令和6年)の春には、100mでここ数年で1番いいタイムを出すなど、体や技術はできあがっていました。最後はハッピーエンドにしたかった。今でも結果に対して「何でだろう?」と考え続けているのですが、正直悔しいです。とくに試合直後はチームで取り組んできた集大成がここで終わってしまうことが本当に悔しかったですね。

石井:当日もウォーミングアップのときから調子がよいのは感じていました。ただ最初の種目である100mで目標としていたタイムを出すことができなかった。僕もあれからずっと考えています。
「チーム啓祐」として技や体に関することは数字や映像などで見えるようにしてきましたが、「心技体」のうち"心"だけは具体的に見えていなかった。そのアプローチをどうするのかを考えさせられた結果だったと思っています。

栗原:思い描いていた景色とは違いましたね。試合当日の右代選手の状態を見て、初日最初の100mで僕も11秒4が出ると思っていましたし、2日目の110mハードルも全然違うタイムになると思っていました。
体の状態が1日目も2日目も良かったことは、チームとして1つの仕事はできたと思います。でも心や考え方にまだ足りないところがあったのかなと。

栗原:目標とする記録にあと少しという場面が初日の競技から続いていましたが、砲丸投げの3投目では、砲丸が離れていく指先から、「俺はどうしても勝ちたいんだ」という圧を感じたんです。その最後の"あがき"がほかの9種目では僕には見えなかった。
本番でこのような"がむしゃらさ"が必要だったのかもしれませんが、その"がむしゃらさ"は課題でもあった"力み"になり、今まで積み上げてきた技術が破綻することにもつながります。そんな難しい領域に、大人がこんなに一生懸命に取り組んでいたんだなとあらためて感じました。

最高のチーム、それぞれの未来へ

右代:振り返ってみると、東京での国際大会に出場できなかったことで、引退していた可能性もありました。でもそのタイミングで栗原さんと出会い、いままで競技ができていること自体がある意味で奇跡だと思っています。
自分が今までやり残していたことを全部もう1 回イチから積み上げて日本選手権に挑戦できた。目標としていた結果は達成できませんでしたが、その挑戦については達成できたのではないかなと思っています。

右代:歳をとると身体も変化するしパフォーマンスが落ちることが当たり前になりますが、このチームは年齢を理由にせず、足りないもの、今やらないといけないことにフォーカスしてくれました。その関わりが、僕の時間を止めて挑戦を続けさせてくれたと感じています。
これから先のことはまだわかりませんが、競技者としては続けていきますし、足りなかったところを補って何としてでも良い結果を残して「チーム啓祐」のみなさんに報告したいです。
この大好きなチームでプロジェクトができたことは本当に楽しかったです。でもここが終わりではないと思っているので引き続きがんばります。

石井:今回のプロジェクトに参加するときに右代くんの年齢やこれまでの怪我のことを聞いて、最初はネガティブな考えをどうしても抱いてしまいました。でもこの「チーム啓祐」はそうではなく、「絶対にいける」「年齢なんて関係ない」と全員がそう信じて疑っていなかった。その環境の中で仕事をしていくうちに、自分はそんな選手でも絶対に目標の場所に連れていけると自信が湧いてくるような経験になりました。
コーチとしてトップ選手に関わる以上、結果がすべてなので、今回の日本選手権の結果は大変申し訳ないと思っています。でもこの「チーム啓祐」での経験で得たものはとてつもなく大きい。今はこの経験を無駄にせず今後に活かしていきたいという気持ちでいっぱいです。

栗原:私は栄養サポートが本業ですが、今回それを軸としながらも、ストレングスやコンディショニングとも連携を取れるチームを作りました。正直、最初はこんなにもいいチームになるとは想像もしていなかったですし、こんなにも素晴らしい人たちと仕事ができるとは思いもよらなかったです。
選手をサポートする側として関わりますが、この仕事はサポートしているようでサポートされている部分もあると感じています。サポートをすることによって自分の能力を高めてくれていることもあるし、自分が挫けたときには選手が助けてくれることもある。「チーム啓祐」でもそういった関係が何度もありました。
今後この「チーム啓祐」で得たものをどのように"教科書"にしていくかという点も大切なことだと捉えています。「この取り組みをどう残すか?」ということにチームとして取り組んでいるというところも、またこのチームのおもしろさでもあるので。
最後に、味の素社という企業の中でこのプロジェクト活動をさせていただいたことに本当に感謝していますし、今回得たものをまた別の活動にも活かしていきながら、当然右代選手の今後にも活かしていきたいです。

「チーム啓祐」左から:三富陽輔、栗原秀文、右代啓祐選手、石井和男、柿木克之

右代 啓祐

陸上/十種競技 日本記録保持者。国士舘クラブ所属。
大学から十種競技に取り組み、全日本選手権8回優勝。2011年に日本記録更新(日本人初の8000点オーバー)し、自身初となる世界陸上出場。さらに、オリンピック2大会連続出場やアジア大会2連覇を果たすなど、キング・オブ・アスリートと称される十種競技の「ワールドクラスの日本人選手」として台頭する。
現在は、国内主要大会に出場する現役選手として日々鍛錬する傍ら、母校でもある国士舘大学では陸上部の指導はもちろん、同校准教授として教壇にも立ち、陸上競技の競技力向上・普及活動にも注力している。

栗原 秀文

「ビクトリープロジェクト®」プロジェクトリーダー/サポートディレクター
1999年、味の素株式会社入社。名古屋支社にて家庭用の営業職に従事。2004年から「アミノバイタル®」部(現スポーツ&ヘルスニュートリション部)にて「アミノバイタル®」の開発・販売マーケティングと共に、「ビクトリープロジェクト®」を担当。2016年からは、プロジェクト専任に。羽生結弦選手、阿部一二三選手、阿部詩選手をはじめ、数多くのアスリートたちをサポート。選手と本気でぶつかり、向き合い、現在の「ビクトリープロジェクト®」の基盤を作るとともに、進化させている。

石井 和男

大学まで陸上競技選手でありスポーツ心理学を学ぶ。02年ソルトレイク五輪ではボブスレー全日本代表コーチ兼補欠、2006年より監督に就任。2010年バンクーバー五輪、2014年ソチ五輪まで監督を勤める。ボブスレーでは走る技術を始め、パワーとスピードを高次元で両立するためのトレーニングや技術を指導・研究。一方、フィギュアスケートでは科学部に所属し、トップアスリートからジュニア選手までの多くのデータの測定から集積を実施し、身体特性を導き出し怪我の予防やパーフォーマンス向上に繋がるデータなどをコーチや選手へフィードバックを実施。「チーム啓祐」ではテクニカルコーチを担当。

三富 陽輔

アスリートのコンディショニングを専門とし、様々な競技のトップアスリートのサポートに従事。多くの国際大会やオリンピックにも帯同し、最適なパフォーマンス発揮と共に、競技特性やアスリートの身体的状態を考慮したコンディショニング戦略を構築。「ビクトリープロジェクト®」アドバイザリースタッフとして、データ分析やコンディショニングの観点からサポートしている。理学療法士。日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー。

柿木 克之

競技現場でコーチ/選手の役に立つ技術の研究・開発・実装に取り組むBlueWych合同会社を2008年に設立。定量化に基づく分析手法開発とトレーニングメソッドの「技術化」を進めてきた。文科省スポーツ功労者顕彰2回、総理大臣感謝状2回受領。2020年から「ビクトリープロジェクト®」アドバイザリースタッフとして参画し、スピードスケート、水泳、陸上競技における競技力向上を支援している。工学博士。

2025年3月の情報をもとに掲載しています。

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