実家を離れて暮らす社会人からすると、親から届く連絡がつい煩わしく思えてしまうこともあるでしょう。たとえ実家暮らしでも、親との距離感やコミュニケーションに悩む人は、決して少なくありません。
味の素社の若手従業員向け研修プログラム「AJINOMOTO GROUP Dialogue for the Future」で実施された「親心と子心の台所」は、大人の親子関係を見つめ直すためのワークショップです。発起人の齋木星一さん自身も、かつて父親との間にわだかまりを抱えていました。現在は、ワークショップの事業化などアイデアの展開を目指して模索を続けています。
今回は、齋木さんの取り組みを紹介するとともに、さらに深掘りするため、『家族のトリセツ』(NHK出版発行)の著者であり、脳科学の視点からコミュニケーションを研究する黒川伊保子さんと、「仕事と介護の両立支援」事業に取り組む株式会社チェンジウェーブの小平新さんが内容を検証。
すると、親子関係だけではなく、企業にとって深刻な課題である「介護離職」を防ぐヒントも見えてきました。

齋木 星一
味の素株式会社
バイオ&ファインケミカル事業本部 バイオ&ファインケミカル統括部 開発グループ

黒川 伊保子氏
株式会社感性リサーチ 代表取締役社長、人工知能研究者(専門領域:ブレイン・サイバネティクス)、感性アナリスト

小平 新氏
株式会社チェンジウェーブグループ 取締役
「親の介護どうしよう....」子世代の3人に1人が現実と向き合えていない
実家と距離を置いている人も、そうでない人も避けては通れないのが「親の介護」です。「そのうち考えればいい」と後回しにしていると、いざ現実に直面したときに心理的な負担は一気に大きくなってしまいます。
親の老いと介護は切っても切り離せません。ダスキンが親世代1,000人・子世代1,000人を対象に行った『「親のいま」に関する親子2世代の意識調査概要』*によると、「親の老いを感じる」と答えた子世代は85.1%に上りました。
しかしその一方で「(親の老いに)向き合えていない」と答えた人は38.4%、「(親の老いを)見て見ぬふりをしたことがある」と答えた人も36%に達します。多くの子世代が「親の老い」を意識しながらも、「親の介護」には向き合えている人はごくわずかなのかもしれません。
さらに、介護を担うのは働き盛りの40~50代が多いとされています。会社に勤めながら介護に携わる「ビジネスケアラー」が離職を余儀なくされるのは、企業にとっても大きな損失。つまり「親の介護」は家庭の話にとどまらず、企業はもちろん、社会全体で向き合わなくてはならないテーマなのです。
「お父さんが入院しました」~衝撃のできごとから生まれた調理体験ワークショップ
介護、相続、事業継承......と、理由はどうあれ、親への接し方に悩んでいる人は少なくありません。
味の素株式会社 バイオ&ファインケミカル事業本部 開発グループの齋木星一さんもその一人でした。中学・高校時代は父と折り合いが悪く「顔を合わせたくない」という理由で、高校卒業後は、地元の埼玉県から遠く離れた福岡県の大学へ。帰省することはほとんどなく、東京で味の素社に就職してからも実家との連絡は途絶えがちでした。
そんなある日、思いもよらない知らせが届きます。
「お父さんが入院しました」。
母から届いた衝撃のLINEに、齋木さんは「『まじで』と一言返すのがやっとでした」と振り返ります。
幸い大事には至りませんでしたが、この出来事をきっかけに、齋木さんは「親の介護」について真剣に考えるようになったといいます。同時に「親が倒れたら、今の仕事はどうなるのだろう」「両親の健康状態を自分は何も知らない」といった不安も浮かんできました。
父親との関係性を見つめ直す必要があると感じた齋木さん。思い切って、ある企画を試みます。
題して「親子の健康意識を変えるワークショップ@齋木家」。自宅で父と一緒に料理をつくって、お互いの理解を深めようと考えたのです。

斎木家ワークショップの様子
味の素社の管理栄養士にファシリテーターとしてリモート参加してもらい、齋木親子はポトフやチヂミ、野菜炒めづくりに挑戦。「こんなに話したのはひさしぶり」という父の前向きな言葉に、齋木さんは「仲良しとまではいかないが、なにか変わった気がする」と話します。
不採択....けれども、ASVの探求心は揺るがない
「親子関係で悩んでいるのは、うちだけではないのでは?」と感じた齋木さん。このワークショップを事業化できれば、家族が抱えている介護や仕事の問題も解消できるのではないかと考えました。そこで2021年(令和3年)、味の素社内の新規事業創出プロジェクト「A-STARTERS」にエントリーを試みます。
しかし、結果はあえなく不採用....。最終評価まで健闘したものの、マネタイズしにくいコンセプトがネックになりました。
それでも齋木さんはあきらめません。2025年(令和7年)には、若手従業員向けの人財育成施策「AJINOMOTO GROUP Dialogue for the Future」(ADF)に参加。ADFは個人の志やASVをトコトン本気で追求する人財を育成する研修で、齋木さんは個人フィールドワークの一環として、再び調理体験のワークショップを開催。今回は「親心と子心の台所」と名を変えて、社内外から参加者を募りました。

実現したワークショップ「親心と子心の台所」のために斎木さんが自ら作成されたチラシ
味の素グループでは、事業を通じて社会価値と経済価値を追求するASV(Ajinomoto Group Creating Shared Value)を推奨しています。齋木さんにとって、ASVはその人の原体験に通じていると考えています。「私にとっての原体験は『父親とのわだかまり』。これをテーマに今後もASVを掘り下げています。」と、意気込み十分です。
思い出のレシピが、親と子を結ぶコミュニケーションツールに
齋木さんは、ADFの個人フィールドワークとして「親心と子心の台所」を実施。味の素グループ高輪研修センターを会場にして、社内外から大人の親子7組が集いました。まずは各グループで、家族との思い出がつまったレシピを披露。親子で買い出しを済ませたら、調理スタートです。親子で工程を確認しながら進めていくので、自然と会話も弾みます。
そして、それぞれのテーブルには「ソウルフードの餃子」や「父が単身赴任先で食べたナムル」「受験の日に母が用意した、ぶりの照り焼き」などが集結。親子で協力してつくった分、おいしさもひとしおです。

おなかがいっぱいになったところで「親子クイズ」のコーナーへ。「親の趣味は?」「子が好きな季節は?」「一番の印象に残っている家族の行事は?」と、設問はどれも知っていそうで知らないことばかり。さらに健康チェックシートをもとに「健康のために意識していること」や「一緒にはじめてみたい健康習慣」などについても話し合いました。

最後は「人生グラフ」を使って、それぞれが歩んできた人生をふりかえります。親の山あり谷ありの人生をはじめて知って、子が思わず「そんな過去があったんだ!?」と声が上がる場面もしばしば。その発見こそが、心の距離が一歩近づいたことの現れです。
「親心と子心の台所」イベントMC:クック井上。さんからのコメント
料理芸人として活躍中のクック井上。さんからコメントをいただきました。楽しくわかりやすい指導で、親子の対話を引き出してくれました。

このイベントを知った方は「家族の思い出の料理のレシピを知りたい!」「うちの名もなきオリジナル料理のレシピ、聞いておこう!」そう思えたのではないでしょうか?時短・簡単料理も良いけど、家族の思い出の料理は人生の宝物!一緒に作れば親子の距離を縮め、必ずや今後のあなたを支えてくれると思います。
親と子が向き合うかどうかで「人生最後の10年」が変わる
専門家は、齋木さんの取り組みをどのように評価するのでしょうか?
ここからは『家族のトリセツ』(NHK出版発行)を著書にもつ人工知能研究者・黒川伊保子さんと、ビジネスケアラーの「仕事と介護の両立」をサポートする株式会社チェンジウェーブグループ取締役・小平新さん、そして齋木さんの3名によるディスカッションをお届けします。

ーーーはじめにチェンジウェーブグループ社の事業について教えてください。「仕事と介護の両立」をサポートしているそうですね。
小平
はい、事業のひとつとして「ビジネスケアラー支援」に取り組んでいます。目的は、ビジネスケアラーの負担を軽減し、仕事と介護の両立を支援することです。企業の人事部門と連携し、実態を把握するためのアセスメントを行ったり、従業員の個別相談に対応したりしています。また「仕事を軸に介護をマネジメントする」という視点から、従業員向けセミナーや管理職向けの研修も実施しています。

小平
普段から何気なく親の介護について考えている人でも、いざその場面が訪れると、どう動けばよいのか戸惑ってしまうことが少なくありません。たとえば、介護施設の種類や利用できるサービスについても情報が複雑です。そういった初動のつまずきをなくすことも私たちの役目です。
ーーー黒川さんは著書の「トリセツ」シリーズにもあるように、コミュニケーションを科学的に研究されていらっしゃいますね。
黒川
もともとはコンピュータメーカーでAIの開発に携わっていました。その過程で、男女の感性の違いや言葉の発音が脳に与える影響に気づき「コミュニケーション・サイエンス」という新たな領域の研究を続けてきました。2003年(平成15年)には株式会社感性リサーチを設立し、脳科学の知見をマーケティングや商品開発に活かしたコンサルティングを行っています。
ーーーそれでは、齋木さんの「親心と子心の台所」についての率直な感想を聞かせてください。
黒川
子どもというのは、思春期に親から決別することで自分の世界を手に入れるものです。その過程で親との間にしこりが残っても、長い年月を経て「親が厳しかったのは、私のためを思ってのことだったんだ」と考えられるようになります。それを踏まえると、「親心と子心の台所」は、親子関係をしなやかにするための一助になるのではないでしょうか。
齋木
おっしゃる通り、自宅でワークショップを開いてから、心のわだかまりがなくなったように思います。親を「等身大」で見られるようになったのかもしれません。

小平
誰でも人生最後の10年間は、他者の助けが必要だと考えられています。私自身、義理の母と同居しているのですが、日々「老い」と向き合っている実感があります。そこで考えさせられるのが、「親がどのような老後を希望しているのかわからない」ということです。面と向かって聞くのは気が引けるけれど、料理をきっかけにすれば、自然に声をかけやすくなる。「親心と子心の台所」は、とても素敵な仕掛けだと感じました。
黒川
調理って五感をフル活用するから、脳の活性化も期待できます。それに調理中や食事中に交わされる、とりとめのない雑談も大切です。頭に浮かんだことをそのまま言葉にする雑談は、いわば脳のエクササイズ。テーマが決まった対話よりも脳全体への刺激が大きく、認知症予防にもつながるんですよ。
小平
調理ってじつは複雑な作業ですよね。「調理がおぼつかなくなったら、認知症のはじまり」と、いわれているのもわかります。親が料理を「しなくなった」とばかり思いこんでいたら、じつは「できなくなっていた」というケースも散見されます。
齋木
また最近では、親の介護をするために仕事を辞める「介護離職」が問題になっているようですね。
小平
はい。介護離職自体は年間10万人くらいで推移していてものすごく増えているわけではないのですが、働きながら介護に向き合わざるを得ない人は確実に増えていると思います。一方で仕事と介護の両立は簡単なことではありません。
齋木
やはりそうなんですね。
小平
それでも、介護問題を乗り越えた人たちは、情報収集もさることながら、普段から親とコミュニケーションをとっている印象です。
齋木
企業側の対応はどうでしょうか。
小平
親を介護している従業員を「働き方に制約がある」とみなしてしまう会社もあるかもしれません。しかし、当社で一緒に仕事と介護の両立支援を手掛けている企業で働く人々を見ると、そんなケースばかりではありせん。実際とある企業の人事担当の方がおっしゃっていた言葉が本当に印象的で、「『親の介護』というプロジェクトに取り組む過程で、様々な決断を繰り返してきた人は人としても大きく成長している」と。個人的な経験はきっと仕事でも活かされると思っています。
いま、親子に求められている「大人の食育」という視点
ーーー齋木さんは「親心と子心の台所」を事業化できないかと、考えています。
黒川
事業化を考えるなら、子世代にとってのメリットを打ち出すのが一番です。たとえば、ワークショップをきっかけに親が料理をはじめて、以前より元気になったとします。結果的に介護が必要な期間が短くなれば、それは子にとって大きなメリットですよね。定期的に開催すれば、親の衰えや体調の変化を確認する機会になります。つまり、認知症の兆しを見つけるための指標にもなり得るのです。
小平
ワークショップによって、「親子のコミュニケーション」の土台ができれば、仕事と介護の両立に向けた準備が進んだと言えるかもしれませんね。そういう観点では、企業にとってもメリットがあるのではないでしょうか。「親心と子心の台所」が社会から必要とされる日が近づいていると感じます。
黒川
そうですよね。今は育児によるキャリア断絶が問題になっていますが、徐々に介護によるキャリア断絶も顕在化していくと思います。
齋木
親世代も「子どもに迷惑をかけたくない」と思っているものなんですかね?
小平
それはそうですね。だからといって、親だけですべてを抱え込んでしまうと、結局、子どもに迷惑がかかってしまう。その親子間のギャップを埋める仕組みをどうつくるのか、というのが重要になってきますね。
黒川
親世代にも調理することの大切さを知ってもらわないといけませんよね。調理すると脳の刺激になるし、理想通りにつくれたら自己肯定感も上がります。団塊世代であれば、一度も料理をしたことがないという男性も少なくないでしょう。そういった体験格差を社会問題として提唱するのもひとつの手。「大人の食育」の必要性を訴えるわけです。

黒川
介護の話に戻すなら、ワークショップの最後に「終活インタビュー」を盛りこんでもいいのでは? 「この先、なにかしたいことある?」と、子どもが親にさりげなく聞ける機会をつくる。
齋木
それでいうと、今回のワークショップでも参加者たちに「親と子でしたいことは?」と聞いているんです。なかには「スカイダイビングに挑戦したい」と、発表する親子もいたりして結構盛り上がりました。そこに「終活」というテーマを絡めてみてもいいかもしれませんね。
小平
親・子・孫の三世代を交えたワークショップもおもしろくなりそうです。代々受け継がれてきた家庭の味を共有するきっかけにもなります。
齋木
本日は貴重なご意見をいただき、ありがとうございます。今回挙がったヒントを活かしつつ、最終的には親子での調理体験を文化として定着させていきたいです。
親子の関係性を見つめ直すことは、「介護離職」などの社会課題の解決にもつながる。その実感を胸に事業化を模索する齋木さん。小さな一歩を踏み出したばかりですが、今後の展開から目が離せません。味の素グループは、これからも従業員一人ひとりの挑戦を後押ししていきます。

齋木 星一
味の素株式会社
バイオ&ファインケミカル事業本部 バイオ&ファインケミカル統括部 開発グループ
入社後、バイオファイン研究所動物栄養グループで畜産飼料の研究開発に従事。その後、本社アミノインデックス事業部で、血液中のアミノ酸濃度バランスからがんや生活習慣病などのリスクを評価する「アミノインデックス®」の営業を担当。現在はバイオ&ファインケミカル統括部で新規事業創出に取り組む。畜産とヘルスケアの両分野で培った経験を糧に、サステナブルな社会の実現に向けた活動をライフワークとしている。マイパーパスは「誰かを驚かせよう」。

黒川 伊保子
株式会社感性リサーチ 代表取締役社長、人工知能研究者、随筆家
1959年長野県生まれ、栃木県育ち。1983年奈良女子大学 理学部物理学科卒。大学卒業後、コンピュータメーカーにてAI開発に携わり、男女の感性の違いや、言葉の発音が脳にもたらす効果に気づき、コミュニケーション・サイエンスの新領域を拓く。2003年、株式会社感性リサーチを設立、脳科学の知見をマーケティングに活かすコンサルタントとして現在に至る。人間関係のイライラに解決策をもたらす著作も多く、『妻のトリセツ』『家族のトリセツ』などのトリセツシリーズは累計で100万部を超える。

小平 新
株式会社チェンジウェーブグループ 取締役
1996年慶応義塾大学環境情報学部卒業。経済系出版社で編集記者、媒体開発を担当した後、IT企業で広報及び新規事業開発を担当。2018年に株式会社リクシスに第1号社員として入社。企画部長として、内部管理体制・組織体制整備、資金調達、事業開発など主要業務全般を担当したのち、事業開発本部を担当。
2026年1月の情報をもとに掲載しています。
Instagram
アメブロ
YouTube『クック井上。のちょいコツクック』
著書『魔法の万能調味料 料理酒オイル いつもの料理が突然プロの味! 感涙レシピ100』