再生医療は、現在世界各国で研究されており、近い将来には「再生医療によって現代の医療が大きく変わる」といわれています。
じつは、この未来の医療の最先端といわれる「再生医療」には、味の素グループのアミノサイエンス®が大きく関係しているのです。
今回の記事では、事業を担当している味の素株式会社 アミノ酸部 バイオファーマソリューションズグループの板屋さん、脇本さんにお話を伺いました。
再生医療ってなに?
再生医療と味の素グループの関係を紹介する前に、まずは再生医療とは何か?どのようなものかを簡単に紹介します。
再生医療とは、ケガや病気などの理由によって失われたからだの組織・機能を再生することを目指した医療技術です。
再生医療にはさまざまなアプローチがあります。
たとえば、ケガや病気などによって機能障害・機能不全・欠陥という状況に陥った生体組織に、正常な機能をもった細胞や組織を人為的に再現し、移植導入を行い、組織の修復や機能の再生を行う方法があります。また、臓器などの組織をつくらずに、細胞を使った免疫療法も、再生医療のひとつになります。
現在、なかでも注目されているのが、iPS細胞やES細胞を使った再生医療です。
iPS細胞を使った再生医療とは?
2012年(平成24年)に京都大学iPS細胞研究所長(当時)の山中伸弥教授がノーベル医学・生理学賞を受賞しました。
山中教授の受賞理由は「成熟細胞が、初期化され多能性を獲得し得ることを発見したこと」。これはiPS細胞による再生医療の可能性を示しているそうです。一体どういうことなのでしょうか?
iPS細胞を使った再生医療について一例を紹介します。
まず、自分の身体から皮膚や血液を採取します。その皮膚や血液の細胞を取り出し、その細胞を初期化することで「何にでもなれる」という特徴を持つiPS細胞にします。
このiPS細胞を増やし、目的とする組織や臓器などに再生することで、もとの自分の身体に移植できるようになります。
たとえば心臓に疾患がある場合、自分の細胞からiPS細胞をつくり、そのiPS細胞を増やし、そしてiPS細胞を心臓の細胞である心筋細胞に変身させ、移植を行い、根本的な治療を行うことができるのです。
またiPS細胞は、細胞シートや臓器をつくる再生医療のほか、病気の原因を解明し、新しい薬の開発などへも活用できると考えられています。
つまり、iPS細胞を活用した再生医療によって、他人の臓器を移植しなくても病気やケガが完治したり、病気そのものの原因を探ることができたり、さらには副作用のない安全な新薬をつくったりできる可能性があるのです!
再生医療のカギを握る味の素社の「StemFit®」
さて、味の素社は、この再生医療にどのように関係しているのでしょうか?
それは、京都大学iPS細胞研究所と、再生医療にとって重要な「培地(ばいち)」を共同研究したことから始まります。
培地とは、微生物や生物組織の培養における培養対象の生育環境。細胞を培養する場合は、細胞が必要とするアミノ酸、糖質、脂質、ビタミン、ミネラルに成長因子などをバランス良く含んだ栄養液のことをいいます。
iPS細胞やES細胞を使った再生医療の実現において、非常に重要となるのが「培地」です。
iPS細胞を使用した再生医療においては、おもに重要な3つの工程で「培地」が必要となります。
1.細胞をリセットする(細胞分離・初期化)
人から細胞をとってきて、その細胞をリプログラミング(初期化)、つまりリセットして、あらゆる細胞になれる能力を持った状態で、無限に増えることのできる細胞にする
2.細胞を増やす(細胞増殖)
その細胞を、高品質(あらゆる細胞になれる状態を維持しながら)で無限に増やす
3.目的の細胞に変化させる(細胞分化)
増やした細胞を心筋細胞や神経細胞、網膜細胞などさまざまな目的の細胞に変化させる
iPS細胞の初期化、増殖、分化というプロセスは再生医療にとても重要な工程であり、培地はその工程においてとても重要な役割を果たします。
2014年(平成26年)、味の素社は、京都大学iPS細胞研究所との共同研究の結果、iPS細胞やES細胞のための「培地」である「StemFit®」の開発に成功しました。
iPS細胞による再生医療は、iPS細胞そのものが無限に増える性質があるため、たくさんのiPS細胞をつくりだすことができます。
「StemFit®」は、iPS細胞に特化した培地なので、高品質のiPS細胞を大量にストックすることができるため、実際の治療に多量の細胞が必要となる再生医療にはうってつけといえます。
「StemFit®」は国内トップシェアの培地
なぜ、京都大学iPS細胞研究所は、食品会社である味の素社と培地開発の共同研究をすることになったのでしょうか?
「StemFIt®」の開発を担当する板屋寛さんによると、そのポイントは高品質なアミノ酸をつくる技術と、食品・栄養分野での長年の研究開発の実績によるものだそうです。
板屋:もともと味の素社はグローバルなアミノ酸製造のリーディングカンパニーです。培地には「アミノ酸」が必要なのですが、たとえば医療用として使用できる高品質のアミノ酸を提供できる会社は世界でも数社といわれており、培地用に高品質なアミノ酸を調達できることが味の素社の強みのひとつです。
培地というのは「細胞が育つための食べ物」になるもので、アミノ酸のほかにも人間の体に必要なものと同じさまざまな成分が入っています。食品や栄養の分野で長年研究開発と製品開発を続けてきた強みを活かして、味の素社では、抗体医薬品を細胞に作らせるための培地を20年以上前から販売をしています。その培地メーカーとしての実績を買われての、味の素社と京都大学iPS細胞研究所との共同研究の実現であったと思います。
じつは味の素社の医療分野における歴史は古く、いまから約70年前にさかのぼります。1956年(昭和31年)に味の素社は「医療用のアミノ酸」の製造・販売を開始しました。
その後、1987年(昭和62年)には国内で初めてとなるバイオ医薬品製造用の細胞のための「アニマルフリー(非動物由来)の無血清培地」の発売を開始、2012年(平成24年)には「バイオ医薬品向けの培地製造工場」を韓国に設立しました。
そして、2014年(平成26年)にiPS細胞やES細胞用の培地「StemFit®」を開発、2016年(平成28年)に発売しました。
2023年(令和5年)現在、「StemFit®」はさまざまなニーズに対する進化を続けラインナップを拡充し、国内におけるiPS細胞用の培地ではトップシェアを誇っており、多くの製薬会社や研究機関による再生医療分野の治験の実施に採用されるようになりました。
「StemFit®」が支持されている理由とは?
国内でトップシェアを誇る「StemFit®」は、京都大学iPS細胞研究所との共同研究を通じて、多くの製薬会社や研究機関の治験に活用されています。「StemFit®」が支持されている理由はいくつかありますが、なかでも「iPS細胞の培養を簡単に行えるようになったこと」が最も革新的なポイントであると板屋さんはいいます。
板屋:iPS細胞は単独の細胞だけでは培養が非常に難しいとされていました。
従来は「フィーダー細胞」という、おもにマウスからとった細胞を敷き詰めた上に、適切なサイズにしたiPS細胞の塊をならべて培養しなければうまくいかなかったのです。この作業は非常に難しく、調整も必要で、熟練の培養士の技術が求められました。また、安全性の担保が重要となる再生医療分野では、ヒトではない他の動物由来のフィーダー細胞に起因する免疫反応などの可能性もあり、これを必要としない培養法が求められていました。
板屋:「StemFit®」を使えば、フィーダー細胞を使わずに、なおかつ塊ではなくバラバラの状態でiPS細胞をまいても効率よく培養することができるようになったのです。「決まったプロセス通りにやれば、だれでも同じように培養できるようになった」ということ、これは支持されていることの大きな要因だと思います。
「StemFit®」によって簡単に細胞培養できるようになった。これは大きな成果を得ることになりました。
板屋:「StemFit®」によって、iPS細胞の使い勝手が良くなった、みんなが使い始めた、いいデータが出てきた、信頼性が高まってデータも積み重なってきた、ということも大きく評価されていると思います。
また、味の素社の長年の栄養研究が「StemFit®」の成分の最適化にも活かされているともいえるでしょう。
培地は、細胞の生育環境であり、栄養素の供給源である、細胞の「ごはん」であるとたとえられます。iPS細胞がさまざまな細胞に「成長」するためには、目的にあった「食事」が必要です。それを確実に成長させることのできる「レシピ」は、目的とする細胞それぞれに異なります。その「レシピ」をつくるための栄養研究や代謝研究などが「StemFit®」に活かされています。
板屋:最適な栄養を必要とするのは、人間も細胞も同じです。培地に対してどういうものが必要かという研究は、味の素社が食品会社として追求してきた考え方と共通しているといえます。
「StemFit®」のマーケティングを担当している脇本周平さんは、他の企業から味の素社に転職してきたメンバーです。実際に味の素社に入社したとき、その培地の栄養研究の凄さに舌を巻いたといいます。
脇本:たとえば培地のなかでiPS細胞を心筋細胞などに変化させ、変化した心筋細胞を治療に使うのですが、投与する心筋細胞のなかにiPS細胞が残っていては具合が悪いのです。iPS細胞を除去するために、味の素社では慶応大学発のベンチャー企業であるHeartseed社と共同し、心筋細胞には栄養となり、IPS細胞には栄養とならない栄養素を見出し、心筋細胞の純度を高めることに貢献しました。
これは味の素社に、細胞の代謝研究を昔からやってきた研究体制と実績があるということだと脇本さんはいいます。
脇本:こんなに膨大なバックグラウンドがある会社ってほかにないですよ。味の素社すごい!って思いましたね(笑)
板屋:私たちは細胞の本質に迫って研究していて、気が遠くなるほどの地道な研究成果が培地というものに集約されています。細胞を増やしたり、適切な細胞に変えるためには、適切な栄養素を与えることがとても重要なんです。
脇本:細胞にとって最適な栄養素を製品として提供していく。この技術と開発体制は控えめにいっても味の素社にしかないと思います。
さまざまな医療・医薬に質的変化が起こる可能性
培地によってつくられた臓器は移植や治療に使われるだけでなく、製薬会社の新薬の開発にも大きな成果を果たすといわれています。
板屋:たとえば、iPS細胞から臓器のもとになる細胞をつくり、いろいろな薬品をかけるとどういう反応になるかを直接見出すことができますから、薬の開発がこれまでよりも早く確実になる可能性があります。また、ほとんどの医薬品には何らかの副作用があります。とくに副作用で心臓がおかしくなったら終わりです。そこでiPS細胞から心臓の細胞をつくって、副作用を事前にチェックすることで、安心・安全な薬をつくることができるでしょうね。
そのほかにも、異常のある細胞をつくり、病気を再現することで治療薬を開発する可能性もあるといわれています。再生医療の実現に向けて、今後の研究や課題についてお二人に伺いました。
板屋:これからの私たちの取り組みとしては、再生医療の実現に向けて多くの患者さんに提供する体制をつくることです。私たちはメーカーとして、高品質な培地を確実に大量に供給できる仕組みをつくることが求められると思います。じつは、これは味の素社が得意なところでもあります。
脇本:iPS細胞から目的の細胞をつくっていく方法は、製薬会社ごと、治療法ごとにそれぞれ異なります。製薬会社や医療機関などからのひとつひとつのレスポンスを受け、一緒につくっていき、最終的に患者さんのもとに届けるための支援をしたいと思っています。また、細胞の品質とコストの安定化に貢献するために自動培養装置メーカーや分析機器メーカーさんとの連携を進めています。「StemFit®」は供給したら終わりではなく、製薬会社さんや研究機関との共同作業が必要です。規模は大きくなっていくと思いますが、患者さんのもとに届けるための支援にしっかり取り組んでいくこと、それが私たちにとっても大きな価値になり、強みとなっていくでしょう。
再生医療はいつごろ身近になる?
味の素グループは、2030年までに「10億人の健康寿命の延伸」というアウトカムの実現を目指しています。
板屋:「StemFit®」をはじめとする再生医療分野における事業、まさにこれは直接的に人々の健康寿命を伸ばすような取り組みです。すでに多くの製薬企業やベンチャー企業が再生医療分野の製品開発に取り組んでいますが、味の素社はそれらの企業と一緒に、ひとつでも多く実現させていきたいと思っています。まだ現在は患者さん全員がすぐに再生医療の恩恵を受けられるという状況ではないと思いますが、近い将来には、多くの方々の健康寿命を伸ばし、QOLを上げていくようなことができると考えられます。
臓器移植を待っている人はたくさんいるといわれています。再生医療によって多くの患者さんたちが健康を取り戻すことになるそうです。
板屋:最近では、網膜の病気の人にiPS細胞から作った網膜を安全にを移植できたというような事例がありました。いままでの医療ではできなかったことも可能になる。がんも今までとはまったく違う方法で治しにかかる、ということになると思いますし、パーキンソン病の治療などにも使われようとしています。
脇本さんは、北米をはじめとする海外への「StemFit®」事業の拡大に取り組んでおり、味の素社の認知拡大のため、これまでの実績、機能や優位性について訴求していくそうです。
脇本:北米では、がんの免疫療法に関する需要が高まっています。2030年代前半には、iPS細胞ベースの治療が商業化されていくだろうといわれています。iPS細胞技術は日本が世界をリードしている先進的な領域です。細胞製造サービス企業・細胞培養装置メーカーさんといった「培地」のユーザーにも研究開発成果の蓄積が多くあります。そうした企業とも連携し、エビデンスをベースに治療用途に資する品質の細胞を安定的に作る方法についてしっかりと伝える活動に取り組み、一緒になって商業化の加速に貢献しています。
再生医療は患者さんのQOLの向上だけでなく、看病にあたる家族のQOLも向上するという点でも味の素社の再生医療用培地の研究は大きく貢献できると考えられます。
世界中で再生医療に対する治験は想像よりも速いスピードで進んでいくといわれています。市場の規模もどんどん拡大し、味の素社に対する期待と需要もさらに高まっていくでしょう。そこにはさらに大きな責任も伴います。
板屋:再生医療は「魔法の粉」ではないですが、いままでにない画期的な医療行為になります。ただ、すべての医薬・医療行為は確実に行われることが必要です。確実にちゃんとした製法、確実にちゃんとしたプロセスを経て、デリバリーをちゃんと守ることが重要。一度始めたことは、すべての工程をきちんと確実に行うことが必要だと考えています。そうしなければ、世界中の患者さんたちに対してきちっとしたものをお届けできないと思っています。
再生医療は思ったより早く私たちの生活に関わってくるようです。
そのときには再生医療用培地は急激に需要が高まってくるでしょう。高品質の培地を確実に届けるためには、研究や技術、能力だけではなく、ひとりひとりの患者さんのレスポンスを丁寧に見つめていくという努力が必要であり、これまでよりもさらに小さな積み重ねが、事業そのものを成長させ、より大きな課題へと突き進む推進力となるはずです。
味の素社の再生医療用培地事業そのものの成長が、世界への貢献につながっていく。そんな未来はすぐそこまでやって来ています。
いかがでしたでしょうか。今回の記事は情報量が多く、なかなか一度に理解するのは難しい内容になっているかと思います。
もし、今後、ニュースで再生医療やiPS細胞の話題を目にしたときには味の素社の「StemFit®」のことを思い出し、この記事にアクセスしていただければ、そのニュースの意味をもっと深く理解できるかもしれません。
板屋 寛
アミノ酸部 バイオファーマソリューションズグループ 技術開発チーム長
味の素株式会社に入社後、研究者の端くれとしてアミノ酸やタンパク質の生産菌開発の研究開発を経て、本社・事業部門で主に新製品/サービスの開発業務に従事。2021年より現職。心がけていることは、既成の概念にとらわれずに新しいことにチャレンジすること、あとは健康が一番!趣味は20年来のアクアリウムと、たまにつくる料理とお酒を嗜むこと。なにより子どもの成長を見守るのが楽しみ。
脇本周平
アミノ酸部 バイオファーマソリューションズグループ セールス&マーケティングチーム長
写真プリントサービスの新規開発、医療用診断機器の東南アジア市場開拓・フィリピン現地法人の立ち上げ、アメリカのIPS由来分化細胞製品のスタートアップ勤務などを経て、2021年より味の素社に入社。細胞培養培地・組換えタンパク質製品の事業拡大に携わっています。仕事を通してQOL向上に少しでも貢献することを大切にしています。
休日は、ラグビー観戦と温泉旅行がなによりの楽しみです。
関連リンク
2023年4月の情報をもとに掲載しています。
用語解説
再生医療
再生医療とは、病気や事故などによって機能障害・不全・欠陥に陥った生体組織に、正常な機能を有する細胞や組織を人為的に再現、移植導入し、組織修復・機能の再生を行う医療のことをいいます。
培地
培地とは、細胞が必要とするアミノ酸、糖質、脂質、ビタミン、ミネラルに成長因子などをバランス良く含む栄養液です。
iPS細胞
iPS細胞とは、人工多能性幹細胞(Induced Pluripotent Stem Cell)のことをいいます。人間の体の細胞に、数種の因子を導入して作ったさまざまな組織や臓器の細胞に分化する能力と増殖する能力を併せ持つ細胞です。
増殖
増殖とは、生物の細胞・組織や個体が量的に増加することをいいます。
ES細胞
ES細胞とは、人間の胚の内部細胞塊を用いて作られた胚性幹細胞(Embryonic Stem Cell)のことをいいます。体を構成するさまざまな組織や臓器の細胞へと分化する能力を持ちます。
成長因子
成長因子とは、人間や動物の体内において、特定の細胞の増殖や分化を促進するタンパク質の総称です。
分化
分化とは、iPS細胞やES細胞が体を構成するさまざまな組織や臓器の細胞へと変化することをいいます。
細胞シート
細胞シートとは、人間の細胞を採取し、シート状に培養して作製した薄い膜です。この細胞シートを患部に貼ることで細胞や臓器の再生を図ります。
QOL
QOLとは、「Quality of Life(クオリティ・オブ・ライフ)」の略で、人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているか、ということを尺度としてとらえる指標のひとつです。