歴史・トリビア

「復興と再建」戦後の経営再開に向けた道のり

8月15日は終戦記念日。味の素社にとっても戦争の被害は甚大で、川崎工場では空襲により40%の工場施設が消失。本店である宝町の味の素ビルは、米国軍に接収されました。
国民全体が絶望に打ちひしがれている中、味の素社三代目社長 三代鈴木三郎助はいち早く行動を開始。15日の玉音放送の後、高輪の自邸で緊急役員会を開きました。そして、昭和18年末に停止していた「味の素®」生産再開の決意を述べ、社名に「味の素」を復活させることを提案したのです。
さらに8月19日に鈴木社長は自ら起草した長文アピールを発表。そこには、敗戦国日本に課せられるであろう賠償物資及び国の再建のための輸入代替物資として、日本で独自に開発された世界に誇るべき製品「味の素®」を役立てるべきだという主張が記されていました。
こうした経営者のリーダーシップが、敗戦のショックから味の素社を立ち直らせ、戦後復興への確実な一歩を踏み出させたのでした。

戦後の生産再開までの苦闘

「味の素®」の生産再開を決意しても、原材料の不足のため、すぐには生産開始ができませんでした。その間、日本の食糧不足を解消し、社員の雇用を守るため、今ある原材料と残った設備を使い臨時生産品を作るために社長直属の調査室を設置し、パン、ビスケット、製塩など様々な物を作り、多くの国民の飢えを満たしました。

味の素株式会社株式の立会風景

社長就任当時の道面豊信

また、GHQは財閥解体を進め、このことで「大日本化学工業」に解体の危機が訪れました。「味の素株式会社」に社名変更を変更し、株式公開、堂面豊信への社長交代で財閥解体を回避しよう努力しましたが、「味の素社」は「過度経済力集中排除法」の指定を受けることになります。しかし、米ソ冷戦によるアメリカの対日政策の転換で解体の危機は回避されました。

戦後の生産再開までの苦闘

生産と輸出の再開

1946年(昭和21年)5月になんとか「味の素」の生産が再開できるようになりましたが、依然として原料不足は深刻でした。そこで、鈴木社長は原料の小麦粉をそのまま配給するより、「味の素®」へ加工して輸出して外貨を稼ぎその金で小麦粉を購入したほうが多くの国民に小麦粉を配給できると主張しました。
また、繊維業者がつくる小麦粉の加工品の副産物が、「味の素®」の原料として使えるため、繊維業者とも協力して工業用小麦粉の輸入が出来るように陳情を行っています。
1949年(昭和24年)にGHQによる小麦粉や大豆の統制が解除されると、「味の素®」の原材料の問題は解決し、戦後復興の外貨獲得のために「味の素®」の対米輸出を目指します。
当初、「味の素®」はアメリカの同種製品と比べると優秀でしたが価格が高かったため輸出量は伸びませんでした。しかし、GHQと交渉し、決められていた価格が下がると「味の素®」の輸出量は増加しました。
また、民間人の海外渡航が許可されると、堂面社長は海外へ視察に行き、市場調査を行って積極的に「味の素®」の売り込みを行いました。「味の素®」の販売はアメリカからアジア、ヨーロッパへと広がり、輸出量は順調に拡大していきました。

味の素®輸出用特小缶(50g、1951年)

国内販売と広告の再開

GHQによる小麦粉や大豆などの統制は徐々に緩和されていき、1950年(昭和25年)にはMSG(グルタミン酸ソーダ)の統制が解除され、日本国内でも自由販売が行われるようになりました。
味の素社は販売体制を整えるため日本各地域に支店や出張所を設置し、特約店や直売店の新設・整備を行いました。
自由販売後は、瓶入りや缶入りなど様々なサイズの商品展開を行い、その中でも大きな意味を持ったのが30gの食卓瓶の導入でした。
これまでの味の素®はスプーンを使うものでしたが、ふりかけ式となり片手で使えたため「味の素®」の使用範囲が広がりました。
広告宣伝活動も積極的に行われ、新聞、雑誌、屋外広告、パンフレットに加えラジオCMが作られました。
「味の素®」のブランドイメージが高まるにつれ類似品や偽造品も出回るようになったため、味の素社は商標管理の徹底を行うことにしました。

味の素®30g食卓瓶(1951年)

京都南座のネオン看板(1951年)

国内販売と広告の再開

労働組合の結成と従業員待遇

1945年(昭和20年)にGHQが労働組合の結成・活動を奨励する方針を明らかにすると、日本政府はそれに沿う形で、労働組合法、労働関係調整法、労働基準法を成立させました。
味の素社における労働組合は1946年(昭和21年)川崎工場でまず発足し、つづいて、本店、横浜工場、佐賀工場でも立ち上がりました。さらに、大阪支店労働組合、中央研究所労働組合が発足しました。
後のこれらの労組は統一され「味の素株式会社労働組合連合会」を結成、味の素社と交渉することとなります。
戦後のインフレは激しく、従業員は従来の給与では生活できない状態であったので、味の素社はさまざまな手当ての支給や、寮や社宅を設置し保養施設をつくるなどの福利厚生を進めました。
また、労働組合は食糧不足のなか賃金を補足するため食料品の現物支給の要求や、休日についても定めるよう要求を行いました。

労働組合の結成と従業員待遇

まとめ

戦後の味の素の復興と再建の歴史は、敗戦の被災から立ち上がり、食糧不足、物不足、資金不足に加え、GHQやアメリカの政治に翻弄されながらも、創意工夫で果敢に挑戦するという、日本の復興と再建の歴史と重なるものだったのです。

本ページは、味の素グループの100年史 第5章 終戦後の事業展開1945年~1955年をまとめた内容です。全編をご覧になりたい方は、味の素グループの100年史をご覧ください。

2019年8月の情報をもとに掲載しています。