歴史・トリビア

関東大震災発生。復興への道のりとは!?

1923(大正12)年9月1日午前11時58分、相模湾を震源地とする未曾有の大地震が、東京府、神奈川県など1府6県を襲いました。この関東大震災による死者・行方不明者10万5千人余り、被害総額は推定55億円。これは当時の国家予算の1.4倍に相当するという真に甚大な被害でした。

味の素グループの前身である(株)鈴木商店の川崎工場は、煉瓦造りの倉庫と事務所、研究室などを残して木造の建物は瞬時に倒壊。本店建物は地震による火災で完全に焼失しました。
この危機に直面し、社長であった二代鈴木三郎助(以下三郎助)は、すぐさま本店を京橋から高輪の自宅に移し、復興と事業の再開に着手。従業員の一部は、社長の自宅に寝泊まりし業務を続けました。

三郎助は工場の復旧を優先すべきだと決定。京浜地区では建築材料も職人も手配できる見込みが立たなかったので、それらの手配のため、関西出身の池藤八郎兵衛を震災3日後に避難民の難船に乗せ、大阪に派遣しました。

震災後の大工、作業員の労賃は従来の4倍以上にも急騰していましたが、三郎助から経費を惜しまないように指示された池藤は、大阪で建設資材、工具をすべて現金で買い入れると共に大工・左官・作業員など約200人を雇い入れ、汽船1隻をチャーターして東京に送りました。工事請負人も不足していましたが、三郎助は資材を鈴木商店が提供するという条件で、建設会社に懸賞つきで工事を急がせました。こうしたなかで従業員も全員一丸となって作業労働に従事したのです。

工場復興を目指すなか、世間では食糧確保が困難に。そこで三郎助の判断により、9月3日に川崎工場の在庫小麦粉から3,500袋を放出し、東京府芝区内および川崎工場付近の三町村の住民に無料配布しました。また高輪の社長自宅前で10数日にわたって通行人に、すいとんを振る舞って喜ばれたこともありました。
9月6日には食糧難救済のための徴収令により、川崎工場では「味の素®」の原料である小麦粉20,300袋の供出を命じられましたが、すぐにこれに応じています。

さらに、「味の素®」の供給が一時途絶え市場で品薄状態になったため、販売店の手持ち在庫の回収、製品の小容量化を実施し、広く行き渡るようにしました。
それが結果的に需要を刺激し、「味の素®」の市価は1~2割上昇。翌年には注文が急増し、特に関東地方での需要増加は画期的でした。

これは、震災後の不便な生活のなかで「味の素®」は手間がかからない便利な調味料であると認識されたことも理由の一つ。また、そのころから世間の景気が立ち直る機運に向かっていたことが伺えます。

2019年9月の情報をもとに掲載しています。